2009年08月16日
64年。
今日もせっせこせっせこ、イヌヒです。
昨日で太平洋戦争が終わって64年。
戦争は、知らない方が平和なのか?
なんて事を考えた時期もありましたが。
高等学校において、「日本史」が「地理」との選択科目であり(「世界史」は必修)
さらにセンター試験の影響もあって、通史を重んじる「日本史B」を学ばせる学校が多い中で
身近な戦争について、学校で詳しく学ぶ機会なんて、なかなか無かったりするように思うのです。
この事実は後世に伝えなくてはならない。
と、思うのなら、どうすれば伝えることが出来るだろうか。
ふと、色々と、考えてしまいました。
Posted by イヌヒ at 13:06│Comments(3)
│音楽もいいやん。
この記事へのコメント
俺は、横須賀の海自に、軍事研究室って名前だったと思うけど、そこに行って、日本の戦争の歴史ってのを、そこの主任研究員の方から聞きました・・・。
まあ、戦争の歴史=企業戦争の歴史と通じるとこがあるってことで最初はヒアリングしてたんだけどね・・・。
なぜ、太平洋戦争で日本が敗退したかの原因がよくわかりました・・・。
そして、それが一部の膠着化した組織のありようが原因であることもね・・・。
大衆=生活者を一部のエリートが先導し、死者300万人越えの戦争をやってしまったんだよね・・・。
海自の場合は、その失敗から今後の有事に際して、いかに戦うべきかを研究しているわけだけどね・・・。
今の経済環境は、ある意味太平洋戦争末期の状態に近いと俺は思うね・・・。
まあ、戦争の歴史=企業戦争の歴史と通じるとこがあるってことで最初はヒアリングしてたんだけどね・・・。
なぜ、太平洋戦争で日本が敗退したかの原因がよくわかりました・・・。
そして、それが一部の膠着化した組織のありようが原因であることもね・・・。
大衆=生活者を一部のエリートが先導し、死者300万人越えの戦争をやってしまったんだよね・・・。
海自の場合は、その失敗から今後の有事に際して、いかに戦うべきかを研究しているわけだけどね・・・。
今の経済環境は、ある意味太平洋戦争末期の状態に近いと俺は思うね・・・。
Posted by ト二ー
at 2009年08月16日 16:47

昔 親父に、「国交も回復したことだし旧満州にばあちゃんと旅行でもしてきたら」といったら、顔色がかわったことを思い出しました。(あんなところ)死んでもいかんぜ、みたいな物言いだったから少し驚いたことがありましたよね。
いろいろなこと聞いたけど、黙ってたことの方が多いんじゃないかな。 ま どこもそうだと思うけど。 だいたいあんたに伝わってないもんね、うまくは。 一子相伝で「秘すれば花」とおしえる世阿弥の矛盾が現世の混沌のもとじゃな。
いろいろなこと聞いたけど、黙ってたことの方が多いんじゃないかな。 ま どこもそうだと思うけど。 だいたいあんたに伝わってないもんね、うまくは。 一子相伝で「秘すれば花」とおしえる世阿弥の矛盾が現世の混沌のもとじゃな。
Posted by ちち at 2009年08月19日 12:52
戦争に対して色々な考えがあるのは、当然です。敗戦に終わったことは、今も「何で戦争をしかけたのか」から始まって、大反省することばかりです。「早く戦争を終わらせるために、と広島や長崎を犠牲にした」と言っている人もいるようです。私の母の兄は「長崎が一番熱くて一番涙した日」に、それまでの努力さえもあっけなく、この世からいなくなりました。(詩集「おにぎり は すりすり」)たとえ外国から揶揄されようと、日本国憲法第九条は守り続けたいと切に思います。
Posted by にぎにぎ at 2009年09月01日 23:23